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東京地方裁判所 平成5年(行ウ)127号 判決 1995年6月20日

原告

吉田勝

被告

東京都教育委員会

右代表者委員長

石川忠雄

右訴訟代理人弁護士

原田昇

右指定代理人

谷岡襄一

後藤孝教

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成四年一〇月一四日付けで原告に対してなした分限免職処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、都立高校に勤務していた原告が被告から事実無根の分限免職処分を受けたとして、右処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和四〇年一月一日付けで東京都公立学校教員に任命され、同日、東京都立本所工業高等学校(定時制)教諭となり、昭和六一年四月一日、東京都立北豊島工業高等学校(定時制)教諭に転任し、同校定時制課程において工業(機械科)の担当として勤務していた者である。

2  被告は、平成四年一〇月一四日、地方公務員法二八条一項一号、三号に基づき、原告を分限免職する旨の処分(以下「本件処分」という)をした。

3  原告は、本件処分を不服として、東京都人事委員会に本件処分の取消しを求めて不服申立てをしたが、同委員会は、平成五年三月一七日、本件処分を承認する旨の裁決をした。

二  争点

原告に地方公務員法二八条一項一号、三号所定の事由があるかどうか。

この点について、被告は、右一号に関しては原告の学習指導の不適切、研修の不実施、無届早退を、右三号に関しては原告の指導能力の不足、校長の指導に対する拒否、学級担任の拒否等適格性の欠如を主張しているのに対し、原告は、これらをすべて争っている。

第三争点に対する判断

一  証拠(略)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  原告の昭和六三年度以降の学習指導の状況等について

(一) 原告は、北豊島工業高等学校に着任後、同校定時制の工業(機械科)の教科指導に当ってきたが、その指導力不足のため、同僚教員から批判が出されるなどのことがあった。定時制課程の教諭らは、昭和六三年四月八日、職員会議において、原告に対し、「あなたの授業は成立していない」、「評価はでたらめである」、「黒板に板書するだけ」、「授業を一五分も前に終わってしまう」などと述べて、原告の問題点を指摘したが、原告は、「生徒の実態でしょうがない」、「板書するのは基本である」などと自説を主張するのみであった。

(二) 校長廣田嘉男及び定時制教頭増田英二が、同月一五日、原告の授業を参観したところ、原告は、機械科三年生に対する機械工作の授業(第一校時)において、生徒に教科書を読ませたのち、講義内容の板書を開始し、板書終了後約五分間黒板と教科書を眺めてから板書を読み上げ、黒板に向かって若干の説明をしたが、生徒に視線を向けることはなかった。また、原告は、板書している間、無断で教室外に出て行く生徒がいたにもかかわらず、これらの生徒に対して戒めるなどの何らの指導も行わなかった。

また、廣田校長及び増田教頭が、同月一六日、原告の授業を参観したところ、原告は、機械科一年生に対する工業数理の授業(第一校時)において、ほとんど教科書の内容を板書するだけであった。

そこで、廣田校長が、同月二一日、原告に対し、板書だけでなく生徒との対話を取り入れた授業を進め、生徒の学力の実態を認識して授業を工夫するよう指導したが、原告は、これに従わなかった。

(三) 廣田校長及び増田教頭が、同年五月九日、原告の授業を参観したところ、原告は、機械科一年生に対する実習(手仕上げ)指導の際、四校時連続であるにもかかわらず、実技指導を行わず、板書及びプリントによる講義形式の授業を行っただけで、しかも、授業時間を約一五分早く終了してしまった。

そこで、増田教頭が、同日、原告に対し、実技中心の授業をするよう指導したが、原告は、これに従わなかった。

(四) 増田教頭は、同年六月八日、原告に対し、教科指導の改善及び生徒指導について指導事項を具体的に列挙して指導したが、原告は、「生徒は指導に従わない」、「生徒が悪い」などと自説を主張して、同教頭の指導を受け入れようとはしなかった。

(五) 原告は、同年七月一四日及び同月一五日、機械科四年生の生徒五、六名から、教科指導及び学習成績の評価方法に対する不満を訴えられたが、これに何ら対応する姿勢を示さなかった。

そこで、増田教頭及び機械科四年生の学級担任教諭野中順一が、同月一六日、同科四年生の生徒代表五名から右不満を聴取したところ、同生徒らは、原告の教科指導について、「教科書を板書してそれを読むだけで、よく理解できない」、「公式を書くだけで説明してくれない」、「もっと分かる授業をしてください」などと述べた。

そのため、増田教頭は、同月一七日、原告に対し、教科指導の改善をするよう指導した。

(六) 廣田校長は、同年一一月二日、原告に対し、授業参観等の結果に基づき、その教科指導及び実習指導の改善並びに生徒指導について、指示事項を具体的に列挙した文書を交付して指示を与えたが、原告は、この指示に従わず、その後もこれに従った指導の改善をしなかった。

また、増田教頭は、同月一一日、原告に対し、教科指導について同日午後四時三〇分に面談を行うと指示したが、原告は、面談に応じなかった。

そこで、増田教頭は、同日の第三校時に面談することを再度申し入れたが、原告は、その時刻の前に時間休をとって帰宅した。

(七) 増田教頭は、平成元年一月九日、廣田校長から教科指導に関して原告と面談する旨の指示を受けたので、原告に対し、同日午後五時ころに校長のもとに出頭するよう指示したが、原告は、出頭しなかった。

増田教頭は、同月一二日、廣田校長から冬季休業期間中の旅行届について原告と面談する旨の指示を受けたので、原告に対し、同月一三日午後四時に校長のもとに出頭するよう指示したが、原告は、その時刻の前に時間休をとって帰宅し、出頭しなかった。

増田教頭は、同月一八日、廣田校長から原告と面談を行うとの指示を受けたので、原告に対し、同日午後六時一五分に校長のもとに出頭するよう指示したが、原告は、出頭せず、更に同日午後七時二五分ころ、同教頭から直ちに校長室に出頭するよう指示されたにもかかわらず、原告は、時間休をとって帰宅し、出頭しなかった。

増田教頭は、同月二〇日、廣田校長から原告と面談する旨の指示を受けたので、原告に対し、同日午後七時二〇分に校長のもとに出頭するよう指示したが、原告は、「体調が悪い」、「休暇をとる」と言って帰宅し、出頭しなかった。

(八) 増田教頭は、原告に対し、同年四月一三日、工業数理の指導について生徒の学力及び理解度に応じた授業の展開をするよう指導し、更に同年五月二二日、工業数理の中間考査について生徒の理解力を無視した出題と成績の評価をしないよう指導した。

しかし、原告は、右指導に従おうとしなかったため、同月三一日に行われた工業数理の中間考査の成績は、零点の生徒が一年生二〇名中七名、二年生二一名中七名であった。

(九) 廣田校長は、同年八月三〇日、原告に対し、生徒指導上の問題等について職務上の指導をするので同年九月一日始業式終了後校長室に出頭するよう文書をもって指示したが、原告は、出頭しなかった。

(一〇) 原告は、同年一〇月二六日、機械科二年生に対する工業数理の授業(第二校時)において、授業時間の大半を板書に費やしただけでなく、自らの理解不足のため説明の途中で行き詰まってしまうことがあった。また、出席していた生徒一三名の中には、原告を無視して生徒同士で話をしたり、別の本を読んだり、寝ていたりする者があったが、原告は、これらの者に対して何らの指導もしなかった。

右授業を参観した東京都教育庁指導部高等学校教育指導課指導主事山下省蔵の授業観察所見では、原告は、(1)授業について、教師の使命や役割を理解しておらず、授業をする者として失格である、(2)教師としての基本的資質に欠けている、(3)専門科目を指導する教師として問題がある、とされている。

(一一) 増田教頭は、平成二年二月六日午後七時三〇分ころから約二〇分間、原告の旋盤の実習指導を観察したところ、原告は、生徒に対する指導を実習助手に任せ、実習場を歩き回っているだけであった。

そのため、増田教頭は、同日、原告に対し、生徒を十分指導するよう注意した。

増田教頭は、同月一三日、原告の旋盤の技術力を確認するため、原告が実施している旋盤実習の素材と図面を渡して、原告に対し、自分で生徒と同様に旋盤を操作して図面どおりの作品を作ってほしいと指示したところ、原告は、「教員は作品ができなくてもよい、名監督であればよい」と述べて、増田教頭の指示に従わなかった。

(一二) 増田教頭は、同年五月二一日、原告の一年生の手仕上げ実習指導を参観していた際、生徒から「けがき」の作業方法が分からないとの話が出たので、原告によく教えてもらうよう告げたところ、生徒は、「原告の説明はよく分からない、実習助手の説明の方が理解できるので、実習助手から教えてもらいたい」と述べた。

原告を除く機械科教員六名(教諭四名、実習助手二名)は、同月二三日、増田教頭に対し、原告の旋盤の実習指導には安全教育上大きな問題があるとの理由で、原告の実習指導を観察するよう要請したので、増田教頭は、同年六月初旬から第一学期末まで原告の旋盤実習指導に立ち会うこととし、同年六月九日、原告に対し、機械科三年生に対する実習(旋盤)指導における安全指導等についての指示事項を具体的に列挙した校長名の文書を交付して指示した。

(一三) 増田教頭は、同年六月二日、原告の機械科四年生に対する計測・制御の授業(第一校時及び第二校時)を参観したところ、生徒の中にはトランプをしたり、私語をしたり、窓の手すりに腰をおろしたりするものがいたにもかかわらず、原告は、これらの生徒に対して何ら指導をしなかった。

そこで、増田教頭は授業終了後、職員室において、原告に対し、生徒に指導を行うよう注意したが、原告は、これに従わなかった。

増田教頭は、同月一二日、原告の機械科三年生に対する実習(旋盤)指導を参観したところ、右(一二)記載の文書による指示に反して、生徒は旋盤用めがねを着用しておらず、安全指導がなされていなかった。

そこで、増田教頭は、原告に対し、実習指導を右指示のとおり行うよう再度指導するとともに、実習指導中はその場を離れないよう指示した。

原告は、同月二六日、機械科三年生に対する実習(旋盤)の授業(第二校時ないし第四校時)中に、旋盤の基本的な操作手順の確認を怠ったため、生徒がバイト(切削工具)を折損する事故を起こした。

しかし、原告は、その事故の発生すら知らず、実習助手がこれに対応して処理した。

廣田校長は、同月二七日、授業中の右事故の発生を受けて、原告に対し、実習指導における安全指導の徹底及び東京都立工業技術教育センターが主催する平成二年度の夏期教職員研修会(旋盤作業の基礎)の受講を指示したが、原告は、「技術はなくとも名監督であればよい」、「本校の旋盤と生徒が悪いから事故が起きる」などと自説を主張してこれに従わず、右講習を受けなかった。

(一四) 原告の旋盤の実習指導では、ほとんどの生徒が平成二年度の第一学期中に作品を完成させることができなかったので、機械科の教員らは、これを放置しておくことは生徒指導上好ましくないと判断して、同年七月一六日及び同月一七日の両日、作品を完成させるための補講を設定し、機械科としてこれに取り組むことにした。原告もこれには参加したものの、自己の指導について格別反省する様子はなかった。

(一五) 機械科の教員らは、同年九月五日、同科の教員会議の席上、原告の実習指導における指導力不足を指摘するとともに、原告及び増田教頭に対し、実習(旋盤)指導における安全指導の徹底を求めたが、原告は、「生徒の質の問題である、質が悪いから事故が発生する」と言うだけで、何の対応もしようとしなかった。

(一六) 原告は、その後同年一〇月七日ころまでの間、実習指導を実習助手に任せることが多かったことから、機械科の教員らは、原告に対し、指導上危険度の小さい実習テーマについて原告に校内研修を行うよう働きかけたが、原告は、これに応じなかった。

(一七) 原告は、同年一〇月一六日、機械科三年生に対する実習(旋盤)の授業中、機械操作について十分な指導をしなかったため、生徒が操作を誤って旋盤を壊し、製作中の作品も破損するという事故が発生した。

ところが、原告は、壊れた旋盤の主軸の修理をしようとせず、実習助手に修理を任せたまま放置した。

また、原告は、中間考査の第二日目である同月二四日、試験監督をしていたところ、生徒の中には私語をしたり、原告に話しかけるなどの行動に出る者がいたにもかかわらず、原告は、これを放置するだけでなく、生徒から話しかけられてこれに受け答えしたりして、適切な生徒指導を行わなかった。

そこで、増田教頭は、考査終了後、原告に対し、考査を厳正に受けさせるよう監督してほしいと指示した。

(一八) 増田教頭は、同年一一月二一日、原告が作成提出した原告担当の三年生の機械工作と四年生の計測の各生徒の出欠点標の記載に誤りがあったので、原告にその訂正を求めたが、原告から再提出された四年生の計測の出欠点標の記載になおも誤りがあったので、同月二六日、再度原告に対してその訂正を求めることとなった。生徒の出欠点標は、生徒の進級に関係する重要な資料であるが、原告の提出する出欠点標の記載にはこのように誤りが多いので、増田教頭が毎回生徒の出席簿と照合して、その整合性を確認せざるを得ない状況にあった。

2  学級担任の拒否について

(一) 原告は、北豊島工業高等学校着任以来、一度も学級担任を務めたことがなく、廣田校長及び増田教頭は、かねてより原告に学級担任を受け持たせる必要があると考えていたので、昭和六三年四月以降、原告に対し、次年度には学級担任を務めるよう指示しており、校内の組織検討委員会や職員会議においても、原告は、同僚教諭からも同趣旨の要請を受けていた。

廣田校長及び増田教頭は、昭和六三年一〇月一二日及び同月一九日、原告と面談して、平成元年度に学級担任を受け持つよう指示及び説得をしたが、原告は、「体が持たない」と述べて拒絶した。

(二) 廣田校長は、昭和六三年一一月二日、右1(六)記載の文書の中で、平成元年度に学級担任を受け持つことを命じる内容を記載して、原告にその旨を指示するとともに、同日、口頭でその旨を伝えたが、原告は、「体力が持たない」と答えてこれに応じなかった。

(三) 廣田校長又は増田教頭は、昭和六三年一一月一八日、同月三〇日、同年一二月三日、同月八日、平成元年一月一一日及び同月一二日、原告に対し、学級担任を受け持つよう指示及び説得を重ねたものの、原告は、「体力が持たない」、「生徒の風当たりが強い、生徒がいろいろ問題を起こすので体力が持たない」、「担任は教員の仕事ではない」、「担任は教員のサービス業務と考えている」などと述べてこれに応じなかった。

廣田校長は、この問題について面談するため、右のほかにも昭和六三年一二月一二日、同月一四日及び同月二二日、原告に対し、出頭を求めたが、原告は、いずれも出頭しなかった。

(四) 原告が主として健康上の理由を挙げて学級担任を拒否するので、廣田校長は、昭和六三年一二月三日以来、原告に対し、学級担任に耐えられない健康上の理由があるならば、医師の診断を受けて診断書を提出するよう要求したが、原告は、診断書を提出しなかった。

(五) 廣田校長は、原告が平成二年度の学級担任を引き受けるよう説得するため、原告に対し、平成元年八月三〇日、文書をもって同年九月一日に校長室に出頭するよう求めたが、原告は、出頭しなかった。

そこで、増田教頭が、同月二日、原告に対し、口頭で同月五日に校長室への出頭を指示したところ、原告は、同日、ようやく出頭した。廣田校長は、その際、原告に対し、平成二年度には学級担任を受け持ってもらうが、もし拒否するならば客観的な書類を提出するようにと伝え、平成元年九月一三日、文書をもって重ねてその旨を指示したが、原告は、右文書の受領を拒否し、同年一〇月四日になってようやく右文書を受領した。

廣田校長及び増田教頭は、更に同年一一月一四日、同月一五日及び同年一二月一一日にも原告と面談して、同趣旨の指示説明を重ねたが、原告は、これを応諾しなかった。

(六) 廣田校長は、原告の健康状態を解明するため、同年一二月二八日ころと平成二年一月一〇日及び同月一三日に、いずれも文書をもって、原告に対し、学級担任を引き受けることができない健康上の理由があるならば、診断書の提出を求める旨を指示したが、原告は、「身分上不利益になる」などと称して診断書を提出しなかった。

廣田校長は、同年一月二〇日、増田教頭を通じて、原告に対し、診断書提出の件で第三校時に校長室に出頭するよう指示したが、原告は、時間休をとって帰宅し、出頭しなかった。

(七) このように、原告は、学級担任の職務を遂行する意思のないことを強調して譲らなかったため、廣田校長は、仮に原告に学級担任を命じても教育上の効果を期待できないと判断し、平成元年度及び平成二年度のいずれについても、これを命じることを断念せざるを得なかった。

3  研修の不実施について

(一) 原告は、前記のとおり、廣田校長及び増田教頭から、教科指導、実習指導及び授業中の指導等について指示を受けたものの、独自の見解に固執してこれに従わなかったので、廣田校長は、平成三年度も引き続いて原告に授業を担当させることは教育上問題であると判断し、同年度は原告を授業担当から外して、教科指導及び実習指導の指導力の向上のための研修をさせることとし、平成三年二月二日、原告に対し、その旨を命じた。

(二) 原告は、同年四月以降、廣田校長及び同年四月一日付けで教頭に着任した佐藤賢吉から、具体的な研修計画を作成して研修に入るよう指示指導を再三受けたにもかかわらず、授業担当を外したことは不当であると主張するとともに、同月二三日、東京都人事委員会に対し、授業を担当させることその他の行政措置を要求し、右措置要求中であることを理由に、廣田校長及び佐藤教頭の指示指導に従わず、研修に従事しなかった。

(三) 東京都人事委員会は、同年九月一八日、右行政措置要求事件について、要求を認めない旨の判定をなしたところ、原告は、同年一一月一五日に至って、ようやく研修計画の作成に着手し、同月二二日、研修計画を提出し、以後佐藤教頭の指導のもとに研修に従事するようになったが、その間も出勤後出勤簿に捺印したまま直ちに帰宅する日が多く、佐藤教頭から、研修日誌の記入、実習教材作成、作品の提示等について繰り返し指導を受けたにもかかわらず、それらの指導を受け入れる姿勢を示さず、研修の成果はほとんど上がらなかった。

(四) 平成四年四月一日付けで校長に着任した鎌田敏雄は、前年度の研修実績にかんがみ、平成四年度も引き続き原告に指導力向上のため同校において研修させることとし、同年四月八日、原告に対し、文書をもって同年度も引き続き授業担当を外したうえ研修するよう命じ、前年度と同様の研修目的及び研修内容に従い、研修期間を有効に活用するよう指示した。

鎌田校長及び佐藤教頭は、その後も、原告に対し、しばしば具体的な研修計画を速やかに作成し、指導案の作成を急ぐよう指示指導をしたが、原告は、来年度は授業を持たせるという約束がなければ応じられないなどと主張し、同年四月中旬ころ以降、出勤後出勤簿に捺印して間もなく帰宅してしまう毎日をほとんど繰り返し、以後、全く研修に従事しなかった。

4  無断早退について

(一) 原告は、平成四年四月八日から同年七月二一日までの間、別表記載のとおり、合計八〇回にわたり無届けで早退を繰り返し、合計二七六時間五五分勤務しなかった。

(二) 鎌田校長及び佐藤教頭は、その間、原告に対し、何度もそのような勤務状態を改めるよう注意を与えるとともに、やむを得ない事由があるときは早退の届出をするよう注意を与え、同年四月二七日、同年五月一三日、同月二八日、同年六月一二日、同年七月一日及び同月二二日、校長名の文書をもって注意したが、原告は、これに従わなかった。

二  右認定事実によると、原告は、教科指導においては生徒との対話をせず、板書のみの授業に終始し、実習指導においては実技を行わず、議義形式の授業を多用したばかりでなく、安全指導を徹底せず、生徒指導の面でも注意を与えるなどの適切な対応を怠ったものである。また、原告は、研修命令を受けたにもかかわらず、平成三年一一月ころから平成四年三月ころまでの間を除くその余の間は全く研修に従事しなかったのであり、また、平成四年四月八日から同年七月二一日までの間、校長から再三にわたる注意を受けながら、八〇回にわたって無断早退を繰り返したものである。このような原告の勤務状況は、地方公務員法二八条一項一号所定の勤務実績が良くない場合に該当するといわなければならない。

また、右認定の原告の勤務の実情から判断すると、原告は、工業高等学校教諭として教科指導、実習指導及び生徒指導の能力が著しく劣っているといわざるを得ない。そして、原告は、校長、教頭の指示、指導に対して独自の見解を主張してこれに従わず、学級担任を受け持つことを拒否するなど、教諭としての職務に対する自覚と責任感に欠ける上、自ら研鑽して教育指導上の成果を収めようという意欲にも欠けるのであり、同僚教員との協調を害する傾向も顕著である。原告のこのような態度は、職務の遂行に著しい支障をきたすものであるばかりか、一時的なものではなく、原告の素質、性格に由来するもので、容易に矯正することができない性質のものであると考えられるのであり、地方公務員法二八条一項三号所定の、その職に必要な適格性を欠く場合に該当するというべきである。

なお、原告は、本人尋問において、校長から、指導ではなく、暴行、脅迫を受けた旨を供述しているが、右供述は、(人証略)に照らして措信することができないし、ほかにそのような事実を認めるに足りる証拠は存しない。

そうすると、地方公務員法二八条一項一号、三号に基づいてなされた本件処分は、適法であるといわなければならない。

第四結論

以上の次第で、原告の本件請求は理由がない。

(裁判官 小佐田潔)

別表(略)

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